ジョニー大倉

ジョニー大倉

小档案 ジョニー 大倉(じょにー・おおくら、本名:朴 雲煥(박운환 / パク・ウナン)、日本名:大倉 洋一、1952年9月3日 - )は、神奈川県出身のミュージシャン、俳優である。 小简介 川崎市立川崎高等学校中退。1971年に矢沢永吉らとキャロルを結成し、当初は内田裕也へプロデュースの依頼を検討したものの結局はミッキー・カーチスのプロデュースでデビュー。キャロルでは、ギターと作詞を担当。矢沢永吉と共に曲作りのコンビを組んで、1973年には『ファンキー・モンキー・ベイビー』などの大ヒット曲を生み出した。はっぴいえんど等が日本語をロックの音楽にのせるために奮闘していた時代に、堂々と日本語と英語をミックスした曲を作詞した最初期の人である。1975年にキャロルによる共著『暴力青春』で在日朝鮮人二世であることをカミングアウト。未だタブーの根強かった当時の芸能界に一石を投じた。 同年にキャロルを解散した後は、ソロでのミュージション活動を始めるとともに俳優業にも手を広げる。1975年に本名の朴雲煥で、在日韓国人をテーマにした映画『異邦人の河』に主演。1982年に映画『遠雷』で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞するなど一定の評価を受けた。1980年代からは個性派の俳優としてヤクザ映画のオリジナルビデオ作品などに出演している。 キャロル在籍中の1973年には1ヶ月失踪。同年から精神の安定を図るべく極真空手を始め、空手のトレーニングを行なうようになる。日本で広く一般的に筋トレが定着し始めたのは、1976年創刊の雑誌「POPEYE」が、特集を何度も組んだことが大きいと思われるが、その「POPEYE」誌上でも鍛え上げられた肉体を度々披露。あまり認知されていないが、肉体派タレントの先駆者の1人でもある。ブルース・リーの主演作『死亡遊戯』(1978年日本公開)の出演者オーディションを受験したが合格はならなかった。しかし同映画の先行試写「香港ワールド・プレス・プレビュー」に参加した際には映画を絶賛するコメントを寄せていた。1987年、富山市のホテル7階のベランダの手摺りで懸垂中転落し、全治6ヶ月の重傷を負った。ホテルの部屋なので筋トレの器具が無かったため、ベランダの手摺りを利用したらしいが、2001年に放送が始まったTBS系列の番組『サンデージャポン』にレポーターとして出演した時には、「不死身のロックンロールジャーナリスト」と自称した。また2004年には窪塚洋介の転落事故に触れ、「彼も僕も(自殺)未遂じゃない。自分もキャロル時代は何かを埋める為に奇行に走っていた」と理解を示した。「あかひげ薬局」の男性イメージキャラクターも務めていた。 大事件 1989年~1991年内海利勝、高橋ジョージ、田中清人らとTHE PLEASE結成。 2004年には自叙伝『キャロル夜明け前』を出版し、矢沢永吉との葛藤が話題を呼んだ。この時のレポーターのインタビューで 「矢沢永吉の...栄光の全ては認めます....。ただし...キャロルに関しては、いちもつ言いたい事がございます」 と話を切り出しジョニーなりの美学を見せた。 2008年12月、公式HPの休止を発表。サイト上には「この日本がこの世界が益々エゴのぶつかり合いを疑わないでやっている」「ボクはまったく、ちぐはぐな今の地球に少々疲れました」「ボクは少しの間、地球を離れます」などと記した。 2009年7月、同年3月に悪性リンパ腫の治療を行った事を公表。 趣味は焼肉のタレの仕込み。『世界で一番うまい』と自負する。趣味が高じて、2006年には新宿、池袋に焼肉店「キャロル」を開店。 しかし、「キャロル」で使用しているタレはジョニー大倉の仕込んだものではない。

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